自分に嘘をつく邪悪な人間 - 平気でうそをつく人たち

 人間が嘘は一日に200回も嘘をつくらしい。

 それが本当かどうか、確かめてみたい気もするが、自分の嘘をいちいち数えていたら気が滅入ってしまいそうだ。

 人間がこれほどまでに嘘をつくのは、人間が「社会的動物」であることの証拠でもある。現代社会は特に、私たちにその社会で生きることを強いている。

 アリストテレスは「人間はポリス的動物である」と言ったが、このポリス的動物は、社会的動物と同じではない。アリストテレスの言うポリスとは、単に生きるのではなく「善く生きること」を目的として結びついた人々の共同体のことである。彼が「人間はポリス的動物である」と言うとき、その言葉には人間は善く生きること目指す人同士の共同体をつくることで完成に至る存在である、という意味が込められている。

 もしも社会で生きるために人間が嘘をつく能力を磨いてきたのだとしたら、社会的動物として生きることで私たちは、ポリス的動物としてのアリストテレスの理想から日々遠ざかっているということだろう。「善く生きる」ことから遠ざかっているということだろう。


精神科医のM・スコット・ペックは『平気でうそをつく人たち』で、自らの診療経験をもとにして「他人をだましながら自己欺まんの層を積み重ねていく人=虚偽の人々」がどのような人たちであるかを描いている。

 ペックは、私たちの身近に多くの、虚偽の人々がいることを明らかにする。彼は虚偽の人々のことを「邪悪な人々」とも呼んでいる。どのような人間が「虚偽の人々」であり「邪悪」なのだろうか。それをペックは事例をもとに明快に私たちに見せてくれている。

 悪魔と取引をする男、死んだ兄の銃を兄の死に悩んでいる弟にプレゼントした夫婦、夫を支配し精神的に抑圧する妻・・・様々な「虚偽の人々」が本書には現れるが、誰もが皆、ペックと最初に面談したときにはどこにでもいる「普通の市民」に見える。社会的地位が高い人もいれば、あまり裕福でない労働者もいる。結婚生活がうまくいっている人もいれば、家族に問題を抱えていることを告白する人もいる。それぞれ条件は違うが、一つだけ共通していることがある。それは、他人よりもむしろ自分に嘘をついているということだ。

 息子が学校でトラブルを犯したことで、息子を診てもらいたい、とペックのもとを訪れた夫婦。夫は弁護士、妻は地域のリーダー。社会的に「成功している」と見られている彼らも「虚偽の人々」なのだとペックは見抜く。「お二人に、治療を受けるよう強くおすすめします」そう言われた夫婦はペックに言う。夫は反論をする。そして妻も言う。


 「主人が言いたいことは、ほかにも原因があるんじゃないかっていうことです。たとえば、私の叔父はアルコール中毒でした。息子の問題は血筋を引いたものだという可能性もありますわね。つまり、ある種の欠陥遺伝子を受け継いだとか、私どもがどう扱おうと、結局、息子は悪いことをするといった」

 私は、恐怖の念がつのってくるのを感じながら二人の顔を見た。

・・・

「いいですか、私が最も驚いたのは、お二人が、ご自身が治療を必要としていることを認めるくらいなら、ご自身の息子さんが不治の病を持っていることを信じる方がましだと考えておられる、つまり、息子さんを抹殺してしまいたいと考えておられるように見えることです」


 虚偽の人々、邪悪な人々の最も恐ろしい点は、異常に意志が強いことである。つまり、自分は異常ではないという思いを決して曲げることをしないということだ。さらに彼らは、自分が異常であると指摘する人、指摘される原因を無視し、抹殺しようとする。

 自分は、虚偽の人々の一員なのだろうか。それを考えることが、虚偽の人々から離れ、「善く生きる」ための一歩になるのではないだろか。

【平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学/M・スコット・ペック】

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