転換点はどこにあるか - 昭和史の決定的瞬間

 昭和史を私たちは「戦前」と「戦後」に分けたがる。

 それはあたかも戦後を生きる私たちは戦前を生きた人々とは違う人種であるかのように。まるで、戦争を引き起こした人々と私たちは違う人種であるかのように。

 しかし、私たちは忘れてはならない。戦争は時代の区切りを目に見える形で見せてくれる都合の良い点になるかもしれないが、そこに生きる人は私たちと連続しており、決して別の人種ではないということを。ミッテランはかつてヴィシー政権で勲章をもらい、キージンガーはラジオでナチスの宣伝をしていた。石橋湛山も岸信介も池田勇人も、戦前から国家を支えてきたじゃないか。それでも私たちは昭和を戦前と戦後に分けたがる。

 「戦前昭和の二〇年間には、いくつかの危機といくつかの転換点があった。なかでも最大のものは、昭和六・七年と昭和一一・一二年の危機であり、転換点であった。・・・前者の昭和六・七年の危機は、満州事変と、一〇月事件と呼ばれる未発のクー・デタと、大恐慌で始まり、昭和七年の五・一五事件で一応の結着をみた。後者の危機は、昭和一一年二月の総選挙と六日後の二・二六事件とで始まり、一二年一月の宇垣一成の組閣失敗と四月末の総選挙を経て、七月七日の日中戦争の勃発にいたる。」

 日本近代政治史を専門とする板野潤治東京大学名誉教授が『昭和史の決定的瞬間』で描くのは、昭和史が幣原外交に代表される平和主義の時代から日中戦争、太平洋戦争という戦争の時代へと歩んでいったその転換点となる出来事だ。

 「歴史にifはない」という文句はどこに行っても聞かされる手垢のついた言葉だが、このifをどうしても考えたくなるのが歴史学者の宿命のようだ。「あの時、ああしないでこうしていれば、あんなひどいことにはならなかっただろうという分析は、ドラマの脚本書きのようなもので、歴史学の醍醐味の一つである」と板野が言うのも無理はない。世界中に第二次世界大戦の勝敗をころころと変えた小説が今も生まれ続けているのも、歴史学者だけでなく多くの人々が「歴史のif」を想像したがっているからだろう。

 板野が1つの「歴史のif」として本書の中で挙げているのは、宇垣一成の組閣失敗である。陸軍大将にのぼりつめ、朝鮮総督も務めた宇垣一成は、陸軍大臣時代の軍縮「宇垣軍縮」で知られている、戦後「ファシズムに抵抗した平和主義者」の1人にも数えられた軍人である。彼は、組閣の大命を受けながらも陸軍の抵抗で組閣がかなわなかった。

 平和主義者の陸軍大将が首相となって軍を抑え、戦争は未然に防がれるというシナリオはいかにも魅力的だ。平和主義者と軍国主義者、これもまた私たちがいつの間にか頭の中でつくっている切り分けだ。しかし、その平和主義者は架空の存在ではなく実際に存在していたにもかかわらず、戦争が起きてしまったことを私たちは忘れてはならない。直前まで議会政治がしっかりと行われており、総選挙も行われていたにもかかわらず、戦争は起きたのだ。

 本書が私たちに与えてくれる示唆は、「歴史のif」で戦争が避けられたかではない。私たちの社会も「転換点」さえあれば戦争へと進みかねないということだ。戦前と戦後は別の時代ではない。私たちも戦前とつながった同じ人種なのだ。

【昭和史の決定的瞬間/板野潤治】


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