対話の魔力 - 文明の対話

 1997年5月24日、イランで行われた大統領選挙の第一回開票速報がニュースで読み上げられた。読み上げられた開票の結果、市民は当初本命と目されていた保守派の代表ナーテグ・ヌーリー候補の敗北を知った。では、勝者は誰だったのか。それは、その選挙の5年前に検閲の緩和を行ったためにイスラーム文化指導相をクビになった穏健派のモハンマド・ハタミだった。

 大方の予想を裏切って勝利したハタミは、大統領に就任するとまずイランという国がイラン・イスラーム革命から続けてきた外交における「対決」の姿勢から「対話」の姿勢に転じた。同時に国内においても、文化・社会の改革を推し進めた。彼の政策は、大統領就任から一年後、1999年9月の国連総会で彼が行った演説に用いられハタミ政権を象徴するキータームとなった「文明の対話」という言葉に集約されている。「ハタミ候補があらゆる不利な条件にも拘らずナーテグ・ヌーリー候補を破ったこと、しかも大差で破ったことを知ると、街の人々はハタミ候補の勝利を驚き、喜び、互いに祝福し合った」と日本国際問題研究所の小林伸一が描いているように、イランの市民もハタミの就任を喜んだ。

 本書は、イランの改革を進めたハタミの演説をまとめたものである。ハタミの改革は、かつてチェコスロバキアで起きた改革運動である「プラハの春」にかけて、「テヘランの春」と呼んだ。

 「対話が好ましいのは、それが自由と自由な意思を基礎としているからです。対話にあっては、相手にいかなる意見も強制することはできません。対話では、相手側もまた独立した個人であることを尊重しなければなりませんし、相手が持つ独立した主義主張と文化的独自性を尊重しなければなりません。そうした場合においてのみ、その対話は平和と安全と正義の実現に向けた予備的な一歩となるのです。」

 このようなハタミの言葉には抗しがたい魅力がある。それは、それまで敵対していた文化と融和できるのではないかという幻想を抱かせてくれる。そのような意味での魅力だ。

 しかし、歴史を下った私たちは知っている。ハタミの改革は中途半端なもので終わり、イランはそれからも平和と対立を天秤にかけてアメリカを中心とした自由主義社会と渡り合っていったことを。それでも私たちは「対話」の魅力に打ち勝つことができない。

 「天国に近い山の上にある神聖な雰囲気の城のような場所に、全身が目と耳の大勢の人がいて、私たちを見下ろし、私たちが何を読み、何を見て、何に耳を傾けるか、私たちが何を楽しみ、何を楽しんではいけないかを決定するありさまを想像していただきたい。私たちの守護天使が、私たちを導き、敵である”他者”から私たちの文化を守ろうとしているのを。それにもかかわらず、文明の対話(モハンマド・ハータミー前大統領の造語、おかげで二〇〇一年は”文明の対話の年”と呼ばれている)の唱道者として、私たちは”他者”を歓迎しなくてはならない。

 『テヘランでクンデラを読めば』ナグメー・ザルバフィヤン」

 結局、私たちは対話におぼれてはならない。大切なのは対話することではなく、状況を変えることなのだ。状況を変えるために行わない対話に意味はない。状況を変えることができて初めて、対話に意味が生まれるのだ。

【文明の対話/モハンマド・ハタミ】


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