調和するか、調和させるか - 朱子学と自由の伝統

 かつてインドは、ムガル帝国というイスラムの帝国が支配をしていた。その第三代皇帝アクバルはアラビア語で「偉大」を意味するその名のごとく、インド北部の一豪族に過ぎなかったムガル朝を帝国の名にふさわしい国家へと造り変えていった。

 アクバルは広範な地を自らの領土とすると、その地に住む人々の宗教を調和させようと試みた。「帝国の一人の首長のもとに統一されたのに、国民がお互いにわけへだたったままでいるのはよろしくない。ムガル帝国のなかにいろいろの宗教があり、互いに争っているのは適当ではない。だから、すべての宗教を一つにまとめるのがよい。」アクバルはそう語ったと言われる。

 イスラム教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、ゾロアスター教、そしてキリスト教。彼は様々な宗教を一つにすることを試みた。彼が目指した宗教の調和は成功したか。その答えはムガル帝国が崩壊に至るまでイスラムの教義を信望していたことを見ればすぐにわかる。彼の試みは失敗だった。人々の奥底に根付いた宗教というものは、皇帝の力をもってしても調和させることはできなかったのだ。

 「調和」という言葉は心地よい。それは「平和」にも、「友愛」にも通ずるような、耳に聞こえの良い響きである。しかし、身のない調和は、もしかすると対立よりもたちの悪いものかもしれない。

 中国の伝統的な思想と西欧的な自由権とを調和させようとするテオドア・ドバリーの試みも、それが身のあるものであるか、私たちは精査しなければならない。ドバリーの『朱子学と自由の伝統』は、12世紀中国の思想家朱熹によって再構築された新儒学の思想である朱子学と自由権から適合する価値観を探った研究である。

 ドバリーは、新儒学の思想が自由主義的諸価値を重要視してきたことを根拠として、新儒学の思想と西欧的な自由主義思想とが「いずれもが人間の普遍的価値に根差したものである以上、学問的な対話を通して両思想が調和することが可能であること」を強く確信するに至る。

 ドバリーのこの確信を、私たちはどのように考えればよいのだろうか。これをもって中国とヨーロッパの自由が同じ意味を持つと言えるのだろうか。それは誤りだろう。中世中国の「自由」と現代西欧の「自由」が同じだと言うことは、7世紀の十七条の憲法を近代的意味での憲法と同列に並べて議論するのと同様、面白みはあるが意味はない。その試みからわかるのは、かつて中国でもてはやされた思想が、古典的な意味で権力に縛られない自由主義的色彩をまとっていたという思想史上の事実に過ぎない。

 私たちをとらえる調和という幻想からは、その美しい包み紙とは裏腹に、隔たりのある相手を自分たちの物差しで理解しようとする傲慢さがにじみ出てくる。

 「一見試行錯誤による漸次的接近と見える事態も、実は自分を相手に近づけているのでは決してなく、逆に相手を自分に近づけているにすぎない

 『〈差異〉と〈共存〉』麻生健」

 私たちは近づこうとしているのか、それとも近づけようとしているのか。それを曖昧にしたままに相手と調和しようとする試みは、調和させようとする試みであり、相手を無視した試みであるのだろう。

【朱子学と自由の伝統/テオドア・ドバリー】


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