本棚を見て、その人を知る - ヒトラーの秘密図書館

 「本棚を見れば、その人がわかる」という格言があるらしい。

 ある時にはアメリカの格言だと言われ、ある時にはフランスの格言だと言われている由緒正しくない格言だけれど、言っていることは正しいだろう。確かに本棚はその人の頭の中を現実世界に表現したようなものだ。ある人の本棚は歴史書が並び、ある人の本棚には漫画が並び、ある人の本棚には本当に読んだことがあるのかもわからない小難しそうな文学大全が並ぶ。それを見て私たちは、SNSの自己紹介欄なんかよりもはっきりと、その人の性格や考えていることを知ることができるのだ。

 だからこそ私たちは本棚を書斎という個人スペースに隠す。決して本棚はリビングに置いてはならない、客間などはもっての外だ。見られたくない心の奥底が見られてしまう危険を秘めているのだから。

 かの独裁者アドルフ・ヒトラーも本棚の中身など知られたくはなかっただろう。しかし私たちはある種の天才である彼がどんな本を読んでいたのかを知りたいという欲求から逃げられない。読んでいた本から彼の考えていたことを推し量りたくなる。

 歴史研究家であるティモシー・ライバックの『ヒトラーの秘密図書館』は、そんな私たちの欲求を満たしてくれる本だ。ライバックは、アメリカ議会図書館をはじめとする世界各地に散らばっていた1300冊ものヒトラーの蔵書を調査し、「彼の感情ないし知性にとって重要な意味を持つ書物、私的な時間に彼が熱心に読み、公人としての言葉の形成に役立った書物」を選び出した。そこに並ぶラインナップは、いかにも「ヒトラー的」だ。

 社会的ダーウィニズムや優生学において熱心に行われていた人種のステレオタイプ化を民族移動や歴史と結びつけ、人種の発達について独自の理論を述べたマディソン・グラントの『偉大な人種の消滅』。ユダヤ人を「その一人一人が、ドイツ人のアイデンティティの真正性と真実性に対する深刻な侮辱」と切り捨てるポール・ド・ラガルドの『ドイツ論』。さらには人知を超えた力につながる知識を図とともに記述したマクシミリアン・リーデルの『世界の法則』・・・あまりにも「ヒトラー的」だ。

 「ある巨匠の作品を演奏するピアニストが、その巨匠を忘れさせて、まるで自分の生涯の物語を語っているとか、まさになにか体験しているふうにみえたとき、最もうまく弾いたことになろう。

 『人間的な、あまりに人間的な』フリードリヒ・ニーチェ」

 ヒトラーは実は言われているほどニーチェに心酔していたわけではなかったと言われている。どんな本が好きかと問われたヒトラーは「ショーペンハウアー」と答えたというのだ。「ニーチェは哲学者というよりも芸術家です。彼にはショーペンハウアーのような澄み切った理解力がない」。そう答えたという。

 しかしそれでもニーチェの言葉はヒトラーにぴたりと合う。「ピアニスト」がヒトラーだとするならば、本書で取り上げられている様々な文献の作者が「巨匠」である。巨匠の作品を忘れさせるピアニスト、それがヒトラーだった。反ユダヤ主義も、優生学も、神秘主義も、ヒトラーが生まれる前から存在していた。しかし、ヒトラーが自らの物語として語ったために、今ではその全てがタブーとなった。

 ピアニストはあまりに上手く巨匠の作品を演奏しすぎた。いくつもの学問を禁じさせてしまうほどに。

【ヒトラーの秘密図書館/ティモシー・ライバック】


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