アメリカ上院のファスケス - アメリカン・ファシズム

 「ファシズム」の語源をご存じだろうか。

 ファシズムという言葉はラテン語の「ファスケス」に由来する。古代ローマにおいて命令権を持つ者に付き従う解放奴隷が持ち歩いた木枝の束、ファスケス。権力者の象徴であった、ファスケス。私たちはファシズムを「全体主義」の一つだと言う。しかし、戦前の政治学者、五来欣造はファッショは「結束」であり、ファシズムは「結束主義」だと言った。


 ファッショとは階級的の利己主義に対する弾圧であって、国民経済の統一と、階級の調和を行うものであるとこう言うことができる。

 『ファッショか共産主義か』五来欣造


 統一を、調査を、そして結束を象徴する、ファスケス。実は「ファシストども」と戦ったアメリカ合衆国の、民主主義と自由の源である上院にも掲げられる、ファスケス。

 ナチズムとヒトラーが世界から追放され、考えることすら許されなくなった一方で、ファシズムの象徴は今もアメリカ議会に掲げられ、リンカーン像が腕を乗せた台座に刻まれている。ファシズムが「全体主義」ではなく「結束主義」だとするならば、統一と調和を意味するならば、それは民主主義とどれだけ違いがあると言えるだろうか。

 アメリカ・モダニズム文学の研究者である三宅昭良の『アメリカン・ファシズム ロングとローズヴェルト』は、1930年代のアメリカでファシズム的手法で権力を掴んだヒューイ・ロングの生涯を追うことで、第二次世界大戦前のアメリカが選ぶかもしれなかったもう一つの道「アメリカン・ファシズム」を検証している。

 三宅は、民主主義とはつまり代議制と選挙と多数決によって意思を「代表/表象」する制度であり、その内部に秘められたファシズムが作動し始めれば「権力を頂点にむけて収奪する装置にいとも簡単に化ける」という。さらに、ファシズムと戦った大統領であるはずのフランクリン・ルーズヴェルトは「果たして民主主義的であったのか」と私たちに問う。


〈ファシズム〉を〈民主主義〉の内部の問題ととらえるならば、「アメリカン・ファシズム」の分析は、必然的に一つの問題に収斂する。すなわち、フランクリン・ローズヴェルト、ファシストたちの消長をこえて四期にわたり大統領職をつとめたあの男は、どこまで〈民主主義〉的であったのか、そしてどの時点で限界につきあたり、〈ファシズム〉と踵を接していたのか、という問題である。


 この問いに答えるための一つの方法が、ルーズヴェルトと同じ時期に表舞台に登場した「代表的アメリカン・ファシストのひとり」であるルイジアナ州選出上院議員ヒューイ・ロングについて論じることである。弁護士から鉄道管理委員として政治の表舞台に登場し、35歳でルイジアナ州知事、39歳で上院議員となったヒューイ・ロングは急進的なポピュリストとして知られているが、三宅によれば「恐怖すべき民衆の英雄。この矛盾した相貌こそが、ファシズムの顔」であったという。

 州知事としてルイジアナ州に君臨し、州政府の重要なポストを次々と手中に収めるとともに、「SOW(Share Our Wealth)運動」と名付けた極端な累進課税と富の分散を訴えた政策を引っ提げて上院に乗り込み大統領さえも脅かす存在、それがヒューイ・ロングだった。「われわれはルイジアナをユートピアにするつもりである。・・・そして私が大統領になればルイジアナをモデルとして使うつもりである」。ロングは記者にそう言った。こんなことが嘯けるほど、に彼は最高権力に近づいていた。

 ユートピアをつくり、それを国全体に広げる前に、ロングは、彼が建設し、彼の誇りだったルイジアナ州会議事堂で暗殺される。彼の姿をアメリカの民主主義制度の「機能不全」と考えれば、私たちは枕を高くして眠ることができる。しかし、果たしてそうだろうか。

 ロングが「ユートピア」をつくるために戦った上院に今もファスケスが掲げられていることは、民主主義と「結束主義」は背中合わせに存在しているものであることを私たちに常に思い起こさせていると、そう思うべきなのではないだろうか。

【アメリカン・ファシズム ロングとローズヴェルト/三宅昭良】


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