「わたしたち」という罠 - カフェ・ヨーロッパ

 アノニマスという集団がいる。

 いや、「いる」というのは誤りかもしれない。さらに「集団」というのも誤りかもしれない。各国政府やISISにまでサイバー攻撃をし、世界中で混乱を巻き起こした彼らは、「いる」と言えるような確固たる存在ではなく、「集団」と言えるような強固なつながりを持たない。

 アノニマス=「匿名」というその名のままに、確固たることもなく、強固なものでもない。ゆるやかにつながるハッカーのネットワーク。それが彼らの最大の特徴であり、彼らの最大の強みである。

 インターネット上の空間が私たちが普段暮らす空間と違う点を考えたとき、まず思いつくのがその匿名性だろう。わたしが「わたし」でいる必要がない、わたしが「個」である必要がないこと、それはインターネットの利点であり、欠点であると言われる。

 わたしが「わたし」でいる必要がないということは、どういうことだろう。それは、わたしが「わたし」という特定から解き放たれることを意味するのではないだろうか。それだけで個々人の存在を希薄化し、「わたし」を自由にする。

 幼稚園や学校で、ピオニールや青年団で、地域社会や職場で、わたしは「わたしたち」とともに育った。「同志諸君、我々は何々しなければならない」という政治家の演説を聞きながら成長した。同志たちといっしょに、言われたとおりにした。一人称複数形以外のかたちでは、だれも存在しなかった。

 クロアチア人のジャーナリストで作家であるスラヴェンカ・ドラクリッチは『カフェ・ヨーロッパ』で、東欧各国で共産主義が次々と崩壊していった1990年代に、それらの国々で変化したこと、そして何より変化しなかったことを当事者であるからこそ見える視点から描き出す。

 その時、彼女は自らが「わたしたち」という代名詞をどれだけ多用しているかに気づく。

 彼女にとって「わたしたち」は、「恐怖、あきらめ、服従、ぬるま湯のような群れ」の象徴であり、「わたし」は「個性と民主主義」の象徴である。しかしそれでもドラクリッチは「わたしたち」を多用してしまう。なぜか。それは東欧で共産主義という皆を制度上結び付けていたイデオロギーがなくなった後も、「意に反して」皆を未だに結び付けている「共通の分母」が存在しているからだという。その共通の分母の一つがこの本の主題ともなっているヨーロッパへの憧れである。

 ドラクリッチが本書で描くのは、ザグレブ、ブラチスラヴァ、リュブリャナといった、日本人にはあまり馴染みのない街の名前である。それらの街、そしてその他の東欧の街に建つアメリカ風の名前の付いた店。ボンジュール、ターゲット、フォア・ロージズ、レイディー、ジ・エンド。クロアチアのジャーナリストは、街を訪れる観光客が混乱して、「ここはイギリスだと思うかもしれない」と書いたという。議員は、全ての商店にクロアチア語の名称を義務付ける法案を提出したという。

 しかし、彼らは理解していなかった、とドラクリッチは指摘する。アメリカ風の名前が付けたのは、自らが「西欧の一員だと証明したいという執拗な思いを払拭できなかった」からなのだと。西欧から壁の向こう側の「東欧」であると定義された人々は、その壁を店の名前に乗せて飛び越えようとしていた。


 わたしたちは、いつだって、自分たちはヨーロッパ人だと考えていた。そのヨーロッパ人に、これでなんとか正式になるのだと思った。ついに、他のヨーロッパ人と、つまり、フランス人やドイツ人やスイス人と、いっしょになれるだろう。ところが、そんな幻想を抱いたわたしたちは間違っていた。


 それでも東欧人は西欧に憧れる。その一員であろうとする。しかし、ここでもまた、ドラクリッチは「わたしたち」を使う。「わたしたち」の持つ力から逃れることができない。それは一度「わたしたち」の匿名性に逃げ込むという一見自由への道に見える選択肢を選んだ人々が、そこから逃れるのにどれだけ努力をしなければならないかを示しているのだろう。

【カフェ・ヨーロッパ/スラヴェンカ・ドラクリッチ】


0コメント

  • 1000 / 1000