人々の生きた記録を救った人たち - 線文字Bの解読

 トーマス・カーライルは言った、「世界の歴史とはまさに偉人伝である」と。

 カーライルのような、山ほど格言を残している人にままあるように、この言葉もどんな意図があって彼が記したかはよく検討しなければならないのだけれど、言葉をそのままの意味で受け取るならば、世界史というものは偉人たちの所業を積み重ねていったものだということだろう。

 確かに、私たちは歴史というものを人を通してしか語ることはできない。

 ただし、それは「偉人」でなくとも構わない。

 ヴェスビオ山は何度も何度も噴火し、その度に大きな被害を起こしているけれど、私たちにとってヴォスビオ山の噴火とは「ポンペイ最後の日」である。ポンペイに人々が街を築き、優雅な暮らしをしていたからこそ、そしてその姿が描かれ、書かれ、語られる方こそ、私たちはヴェスビオ山の噴火にどこか場違いな憧れを抱く。

 そうだとすれば、世界の歴史をつくっているのは偉人ではなく、ポンペイの市民ですらなく、そのものがたりを描き、書き、語る人々であると言えはしないだろうか。だからこそ私たちは、ギリシア神話の時代が終わり、人々が言葉を書きはじめるその間の、誰も書かず、誰も語らない時代を「暗黒時代」と呼ぶのではないだろうか。


 秘密をあばきたいという心のうながしは、人間の本性に深く根ざしている。ささやかな好奇心そのものがすでに、他人が秘匿する知識を自分もあずかり知ろうという希望から湧き出ている。・・・ここに語るのは、半世紀の久しきにわたって専門家を手こずらした、まぎれもない謎を解く物語である。


 このような書き出しではじまるジョン・チャドウィックの『線文字Bの解読』は、彼がマイケル・ヴェントリスとともに歴史の一部分を解き明かそうとする、まさに「謎を解く物語」である。

 マイケル・ヴェントリスとともにエーゲ海諸島で紀元前15世紀から紀元前14世紀につかわれていた線文字Bを解読した言語学者チャドウィックは、ヴェントリスの死を契機として、彼らの努力を記し、広く知らしめるために本書を出版した。

 「線文字B」といういかにも研究者が便宜的につけた名前で知られる未知の言語を、彼らがいかにして解き明かすことに成功したかを読み進むときには、専門家でなくとも興奮を抑えられないだろう。なぜなら、チャドウィックが「無限の苦痛に耐える力、集中力、周密細心、美しい設計者的天分」を持つと絶賛するヴェントリスは、彼曰く「ギリシア語を噛った」建築家、つまりアマチュアだったのである。アマチュアの奮闘はいつの時代も読者を興奮させる。

 アマチュアの歴史家といえばシュリーマンがすぐに思い浮かぶかもしれない。ヴェントリスはトロイアの実在を証明しようと莫大な富とともにギリシャに乗り込んできたシュリーマンとは異なり、ヴェントリスは多くの専門家とときに協力し、ときに意見を戦わせながら線文字Bの解明に取り組んでいく。

 チャドウィックの目を通して語られるヴェントリスはいつもおとなしく、控え目である。彼の理論が広く受け入れられたときも、「万事好調だった」という以外は語らなかったという。チャドウィックの記述からは、共同研究者であった友人への深い敬愛の念が読み取れる。


 線文字Bは解読された。残された仕事は何だろう。ミカエル・ヴェントリスがわれわれ友人、同僚に残した仕事は何だろう。なすべきことはまだおびただしい。そして彼がわれわれに教えた方法を用いれば、たとい目覚ましくはないまでも、将来成功にいたる大きい希望がある。


 チャドウィックが言った通り、彼らが線文字Bを解読したことにより、ミケーネ文明の多くの文書を私たちは読むことが可能となった。

 世界史が人々の所業の積み重ねだとすれば、彼らによって暗黒時代から救い上げられたのは、世界史の一部分であり、その時代に人々が生きたまさにその記録であると言えるだろう。

【線文字Bの解読/ジョン・チャドウィック】


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